小倉氏の著書『近江商人の理念‐近江商人の家訓選集‐』(サンライズ出版)によれば、「三方よし」の原典は「2代目中村治兵衛(宗岸)の家訓」だということでしたので、「三方よし」と「2代目中村治兵衛」の語を探しながら、小倉氏の主な著書を年代順に読んでみることとしました。
1980(昭和55)年初版の『近江商人の系譜』には、中村治兵衛の話は載っていましたが、そこには家訓に関する記述はなく「三方よし」の語も出てきませんでした。
次に読んだのが、1988(昭和63)年出版の『近江商人の経営』(サンブライト出版)です。
「近江商人経営の骨組」という項目において「利は余沢、三方よし」という言葉を見つけました(pp.50‐54)。
キリスト教での神を「世界の調和を司どる力」と捉え、「商業があって生産と消費が調和しているのであるから、商業はこの世の調和を司どる神の御旨に適う業」とし、「このようなヨーロッパでの近代商業観と、有無相通職分観は酷似しているではないか」と述べておられます。
一方で、「利益」というものについては、清教徒との対比で近江商人の考え方を述べておられ、「利益=神の御旨に適ったことに対する神の恩寵」と捉える清教徒に対し、わが国では「利益=余沢」だと述べておられます。
そして、「有無相通じる職分観、利は余沢という理念は近江商人の間で広く通用しているが、ややむずかしい。もっと平易で「三方よし」というのがある。売手よし、買手よし、世間よしという商売でなければ商人は成り立たないという考え方である。時代は下るが湖東商人の間で多く聞く。」と述べておられます(どうやら、「三方よし」という語は、湖東地方のフォークロアのようですね…)。
その次に読んだのが、1990年出版の『近江商人の金言名句』(中央経済社)です。
目次を繰ってみると、第2章「商人の存在理由、職分と余沢」に「三方よし、中村治兵衛家の家訓」という項目がありました(「三方よし」という言葉に対する小倉氏の想いは、ここに詰まっているのではないか…と直感しました)。
この第2章では、「商人の存在理由(職分)」と「利益」の関係について、初代伊藤忠兵衛の座右の銘「利真於勤」をキーワードとして述べておられます。
引用しますと、
利は勤むるに真なりと読んで、その意味は利益は商合に勤める場合、真の利益であるということ と解する。・・・結論的には、権力と結託したり、売り惜しみ買占めなどの策略を用いるのでなく、
需給の調和、物資流通に努力するのを「勤」といったのである。(『近江商人の金言名句』p.42)
つまり、「権力との結託」や「売り惜しみ買占め」は、真の利益ではなく、「三方よし」に反する、ということです。
しかし、小倉氏は、「三方よし」と「利益の最大を原理とする経済理論」との間でジレンマも感じておられます。 引用しますと、
「経済行為の選択肢は多いが、利益の最大を原理として意思を決定する経済人を考えると、 営利至上の考え方にならざるをえない。経済理論はこの論理の上に組み立てられ、理論化さ
れるのであるが、はたしてこれが人間社会の真実であろうか。(『近江商人の金言名句』p.64)
このようなジレンマを解決するために、小倉氏は、西洋から輸入された経済理論を、江戸期の近江商人の論理に則って解釈したのです。引用しますと、
「清教徒のように教理を援用して宗教的に解釈することはない。仏教には世の調和を司どる 絶対者という教理はないので、近江商人の考え方を、清教徒と同じ構造に乗せて解釈するのは
無理である。もっと率直に任務と考え、任務に尽くすというところに倫理性が生じるのである。 そして利益は目的ではない。任務を果たしたことに対する「余沢」、すなわち残ってくるうるおい
なのである。(『近江商人の金言名句』pp.64-65)
キリスト教の価値観を通じて生み出された経済理論を、江戸期の近江に生きた商人の価値観に則して修正したのです。その修正点が「有無相通じる職分観、利は余沢」であり、それをあらわす平易な言葉が「三方よし」なのです。
即ち、小倉氏自身、「三方よし」と「利益の最大を原理とする経済理論」との間で心が揺れ動いており、その揺れ動く中でバランスを取るために、「利益は目的ではなく、任務を果たしたことに対する余沢」という指標を用いよう、という主張だと私は解釈します。
…私がこのように解釈する理由は、「中村冶兵衛家の家訓」の中にあるのですが、その点については後日お話します。
ともあれ、CSRとして「三方よし」を掲げたところで、「売手(自分)の利益=買手(相手)の利益=世間(社会)の利益」を成立させることは難しく、何れかに比重が置かれてしまうのは必至です。
いずれに比重を置くかを判断する際に、利益を目的とするのではなく、「利益=任務に対する成果−原価」と捉えることができるようになれば、経営的判断を迫られる局面で対応が、ある程度すっきりとしたものになるのではないか、と考えます。
が……、果たして株式会社IPフォークロアのCSRはどのような道をたどるのでしょうか? 乞うご期待!
…